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本作『日日是好日』の撮影は2017年11月20日〜12月23日に神奈川県横浜市を中心とするロケーションで行われた。本作は原作者である森下典子の自伝エッセイの映画化であるが、実際に森下が生まれ育った地も横浜であり、今も森下は自宅近くにある“武田先生のお茶教室”に通い続けている――。
本作で大半の舞台となるのはお茶室である。影の主役と言っても過言ではないお茶室をどう作るかは、本作の制作行程における非常に大きなテーマであった。様々な検討がなされた結果、神奈川県横浜市のとある、大きな庭園を持つ民家の一部を改造することによってお茶室のロケーションセットを作ることに決まった。これまで様々な優れた映画美術を表現してきた原田満生と堀明元紀がセットデザインの検討に入った。結果的に本作のメインステージとして相応しい、美しく、まるで呼吸をしているかのようなお茶室のロケセットは完成した。しかしながらそれは、“民家の一部を改造する”といった代物ではなかった。まず、お茶室部分は元々の民家の部屋を使わず、外壁を取り壊し、増築することによって作られた。広い庭園は半分以下に縮小され、余ったスペースには路地が作られた。路地に沿っては、片側は武田先生宅の木塀、片側には書き割りの住居や電柱が作られた。武田先生宅はお茶室の他に、生徒達を迎える玄関口スペースも増築され、お茶室への前室などが内部に作られた。こうして元々の民家と庭の原型はほぼ無くなり、武田茶道教室とその周辺の世界が新たに現れた。初めて訪れた人には元々あったものと映画用に作られたものの境目はわからない。近隣に住む方々にとっては突如として近所に(通行できない)路地が出来上がり、風情のある古民家が誕生した。お茶室セットの素晴らしさはさることながら、武田先生宅に沿うようにして玄関につながる路地がリアルに作られたことは、本作の撮影にとって大変効果的であった。それは日常と非日常への境界線であり、本作は路地、特にお稽古の帰り路に登場人物が雄弁となるシーンが多いからだ。
お茶の先生役である樹木希林も、時間をかけてお茶を習得していく黒木華も茶道は未経験。多部も幼少期に多少の経験があるのみ。撮影まえに集中して茶道の指導を受けた。短い期間ではあったが指導者もおどろくほどの集中力で基礎的な茶道のお点前を習得した。反して、本作で“新しい生徒たち”として登場し稽古での痛ましい失敗を見せる三人の女優、原田麻由(田所役)、川村紗也(早苗役)、滝沢恵(由美子役)は皆、茶道経験者であり、本来は美しいお点前を披露することができる。本作で映画初出演となった乃木坂46の山下美月は“天才少女”のひとみ役。山下は高校時代に茶道部の副部長を務めていたが、裏千家茶道部であったため、撮影前に表千家のお点前を入念に稽古した。この変換は感覚的にその流派の所作を身につけた人にとっては、見た目以上に悩ましいのだ。

かつて映画やドラマにおいて、これほどまでに“茶道の稽古シーン”が登場する現代劇はなかった。映画やドラマに登場する茶道といえば、利休の世界か、政財界や貴族の嗜みか、はたまた“○○家元殺人事件簿”か―。千利休がその“茶の湯”を大成させた世は、戦国時代である。武士を中心とした男系の嗜みであった茶道は、明治時代に入り「女子の教養」として学生や庶民の間に広まった。本作で黒木華演じる典子が茶道を始めたのは1998年。(※実際に原作の森下典子が茶道を始めたのは1970年代。)それから現在に至る20年間、世の中はもの凄いスピードで変わり続けた。様々なことがよりグローバルになりながら、一方ではよりパーソナルになった。ニュースはフェイクで溢れ、正しいことや美しいものと、そうではないものの境界線は複雑で曖昧なものとなった。典子の人生にも喜劇や悲劇があった。でも、典子の側にはいつも“お茶”があった。典子はお茶の稽古に通い続けた。雨の日は雨を聴き、雪の日は雪を見て、夏には夏の暑さを、冬は身の切れるような寒さを。五感を使って、全身で、その瞬間を味わい続けた。映画の中で「私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって」と武田先生は言う。「世の中には『すぐわかるもの』と『すぐわからないもの』の二種類がある。」と典子は思う。映画『日日是好日』は、四百年以上も変わらず「すぐわからないもの」の代表のような茶道と、人生の浮き沈みに揺れ動き続ける人間との、それらの狭間に肉迫していく。大森立嗣監督がお茶の映画を撮ることに違和感を持つ人も少なくないが、大森監督が製作発表リリースに寄せたコメントが、本作を彼が撮ることの意義を表現している。「茶道とは無縁の僕が原作を読み終えていたく感動していました。一人の女性が大人になっていく過程で、きらびやかな宝石とは違う、胸の奥にずっと、でも密かにある大切なものにお茶を通して気付き、触れていくお話しです。」

落語の席で朗読するほどの原作愛読者である人間国宝・柳家小三治氏は、原作(文庫本)の解説で次のように述べている。「(本屋の[茶道・華道]コーナーに置かれた原作を見て)ここにあるべき本じゃないんだよこの本は。(中略)いや、ここにも一冊くらい置いてもいいけど、とに角ここじゃないんだよ。だから女流作家エッセイコーナーでもいいし、んんそれから、んんと、宗教の本、哲学の本、人生読本じゃあ堅いなあ。生きて行く楽しみ……日本国民全員の副読本、いやあ、なんだか外れていくなあ。だからそういう本なんだよ」。映画化を企画したプロデューサーの吉村知己は、そもそも原作を茶道の本とは知らずに読み始め、茶道未経験であったが、すっかり虜になった。森下典子の『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』は茶道体験記という枠を超えて、幅広い層の読者の胸を打つ。読者の中には“マインドフルネス本”と原作を称する人も多い。いま自分がいる空間そのものを、五感を使って全身で味わうという茶道の行為と、今その瞬間の自分へと意識を集中するマインドフルネスによる心理的な過程とは、近しいところに位置しているのかもしれない。

落語の席で朗読するほどの原作愛読者である人間国宝・柳家小三治氏は、原作(文庫本)の解説で次のように述べている。「(本屋の[茶道・華道]コーナーに置かれた原作を見て)ここにあるべき本じゃないんだよこの本は。(中略)いや、ここにも一冊くらい置いてもいいけど、とに角ここじゃないんだよ。だから女流作家エッセイコーナーでもいいし、んんそれから、んんと、宗教の本、哲学の本、人生読本じゃあ堅いなあ。生きて行く楽しみ……日本国民全員の副読本、いやあ、なんだか外れていくなあ。だからそういう本なんだよ」。映画化を企画したプロデューサーの吉村知己は、そもそも原作を茶道の本とは知らずに読み始め、茶道未経験であったが、すっかり虜になった。森下典子の『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』は茶道体験記という枠を超えて、幅広い層の読者の胸を打つ。読者の中には“マインドフルネス本”と原作を称する人も多い。いま自分がいる空間そのものを、五感を使って全身で味わうという茶道の行為と、今その瞬間の自分へと意識を集中するマインドフルネスによる心理的な過程とは、近しいところに位置しているのかもしれない。